(4gifsから)
643 おさかなくわえた名無しさん :02/02/05 05:25 ID:VXGjDuGc
小さい頃、母親と友達の女の子と3人で道を歩いていた時、
緑色の夕焼けを見た。
今考えてみても不思議で、母親にその時の話をした所、
「緑色の夕焼けなんか有る訳無い。夢でも見たんでしょ」
と笑われた。
記憶違いかなと思っていたが、
その時一緒に歩いていた女の子がその事を覚えていて、
「あーあれ綺麗だったねー」
と云っていた。
644 おさかなくわえた名無しさん :02/02/05 17:59 ID:mUZmU3E3
夕日が沈む瞬間緑色の光が走るんですって・・・
それを見た人は幸せになるんですよ
645 :02/02/05 19:44 ID:G3n6fQmb
グリーンフラッシュだっけ?ごくたまーに短い時間、見えるんだよね。
646 おさかなくわえた名無しさん :02/02/05 21:00 ID:6uDWgEez
へー、それは知らんかった。
でも幸せになるって云うのは当たってるかも。
何故ならその時一緒に見た女の子が、
今の嫁さんだから・・・。
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ちょwww緑色の夕焼け見たwwwwwww:アルファルファモザイク (via iyoupapa) (via biccchi) (via gkojax)
2009-06-29 (via gkojay, iyoupapa) (via quote-over100notes-jp) (via enjoylivingordie) (via ibi-s) (via raikoudengeki)
エリック・ロメール監督「緑の光線」(1986) http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=22922
— コピペ運動会 - No.40386 笑いと恐怖 (via kogumarecord)
(raikoudengekiから)
I’m usually against censorship, but this is fucking hilarious.
I STILL FIND THIS SO FUNNY
(元記事: bootyoftheday.co (clnmnから))
建築を全体性の枠組みでとらえているうちには、それは物語的・人間的な文脈に属しているのであって、少しも物質的・身体的な文脈に突入できない。では建築の全体性の枠組みを放棄したとして、建築が例えば外形のかたちの強さをなしにその強度を亡霊のように立ち上がらせるためには何が必要だろうかと問いを掲げてみると、了二氏はおそらくマーク・ロスコ~エリック・ロメール~青山真治における奥行の深さの禁止による触知性の獲得を可能性の第一に挙げ、あるいはデ・パルマ=コルビュジエによる狭窄遠近法あるいは「トンネル効果」を挙げ、もしくはペドロ・コスタにおける「闇」を前提にした空間と地質学的な視点場を挙げ、そしてやはり黒沢清における開口部、踊り場目線とその一歩前に踏み出した距離を挙げるだろう。
これらの四つの建築の可能性は、実はいずれも視点、パースペクティヴについての問題意識を包含するわけだが、了二氏が本書の通奏低音として響かせているのは、ルネサンス以降つづく空間遠近法的な枠組みからの離脱である。
"せっかくだから内容の一部を紹介しよう。この部分では、“道路工事”という名前で呼ばれているノゾキ屋が、アベックの情事を覗くだけでは飽きたらず、彼らに近寄って自分もその営みに参加してしまい、その情景を他のノゾキ屋たちが注視しているという信じ難い状況が描かれている。
「“道路工事”の二本の指が下着の透き間からすべり込んだ。“道路工事”の指の動きに女が反応する。人だかりはもう20人余りに膨れ上がり、あたりは異様な雰囲気になっていた。道路工事の指の動きに女は体をのけそらして応え、喘ぐような歓びの声がもれた。
・・(中略)・・・じつに不思議である。女の体を相手の男の手と、第三者のノゾキの手が這い回る。しかし、女は何も気づかずに悶え続けている。」(吉行耕平著『ミッドナイトフォーカス』より)
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渡邉大輔氏と佐々木敦氏のトークセッション 第2回